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高校時代 健康診断で蛋白尿が出ていることが発覚。
その少し前に母が妊娠中毒症からきた腎臓病で、透析を導入したばかりで、自分もいつかは・・・と覚悟する。
短大時代 初の腎生検(背中から針を刺し、腎臓の組織を少し採って調べるもの。部分麻酔であまり痛くないが、その後半日くらい絶対安静になるのがちょっとつらい)。正式に「慢性糸球体腎炎」と診断される。
夏休みのレポートがゆっくり書けてよかったことを覚えてる。
OL4年目 ステロイド療法を試してみるがきかず・・・。早く結婚して子供を作ったほうが・・・といわれるが、相手が・・・。
この時の主治医の先生が開業医となったため、それまでの総合病院から転院することに・・・。
そして、結婚(96.3.16)。OL生活から夫の仕事の手伝いに変わる。
98.11 先生からデーターが悪く、元の総合病院に戻るよう言われる。
98.12 転院。しかし、昔から通っていたし、母が透析を受けている病院なので、古巣に戻った感じ。
99.01.29 低蛋白療法体験のための“教育入院”を勧められる。
99.02.19
  〜02.26
入院。
食事はまずいし、はっきりいって落ち込んだ(こんな食事がずーっと続くなんて・・・)。
隣のベットが母の透析仲間のおばさまで、いろいろ話ができて面白かったのが、唯一の救い。
母も、透析後は必ず寄ってくれた。
99.03 やっと慣れたのに、先生の転勤で主治医が代わることに。
K先生・・・“こんな若造で大丈夫か?”とも思ったが、結局ものすごくお世話になることになってしまった。
全然関係ないが、独身だそうだ。
低蛋白療法は十分に食事を摂れる人が、厳しい管理の下にやるものらしい・・・。
すでに、吐き気やだるさがあり、食欲の無かった私は結局続かなかった。
それに、意外と透析を身近に感じていたせいもあったのかもしれない。
99.09.25
  〜10.08
吐き気とだるさに耐え切れず、入院。
クレメジンを飲み始める。しかし安静にしていても良くならない。クレアチニンがどんどん高くなる。
もう一度“腎生検”をして、ステロイド療法が試せるかやってみることにし、一時退院。
99.10.26
  〜11.08
再入院。人生2度目の“腎生検”
ああ、でもこれはもう透析しかない・・・という結果が。シャントの手術が11月18日に決まったので一時退院。
99.11.17 再々入院。
99.11.18 シャントの手術。
すごいショック!なにがって、OPE室の看護士が中学の同級生。しかも結構仲が良かったの・・・奴に手術着をはだけて心電図のコードをつけられた時には「ああ、私の女の人生は終わった・・・」(なんのことやら)と思った。でも、そのあとは別の人に代わってもらったようだった(だったら最初から代わればいいものを)。でも手術が終わった後も病室までついて来てくれて、ちょっぴり見直した面も。
そんなわけで、最初にショックなことがあったために、手術自体はたいしたことなく終了!でも、麻酔が切れてから痛み止めでショック症状を起こして(まれにあるらしい)吐いてしまったので、痛み止めがきかず、一晩泣きっぱなし。
99.12.02 初めての透析。やはり高校の同級生で同じような病歴をたどり、私より5年ほど早く透析導入になった友達が来てくれて、先生に「ちゃんと刺してね」と言ってくれたおかげか無事開始。
終わりごろだんなが来て、ポラロイドカメラで記念写真を撮った(なんちゅう夫婦だ)。
99.12.18 無事退院
99.12.21 新しい病院へ。
前の病院より天井が低くて、ベットの間隔が狭い。その圧迫感のせいか、一日目に喘息の発作が!(ずーっとおきてなかったのに・・・)。ちょっとブルーになるが、その後は順調。
00.10.17 T病院にて、献腎移植の登録を無事済ませる。
この間に夫の両親が次々亡くなるが、透析の日にちや時間をずらして、何とか無事「喪主の妻」の役割を果たすことができた。
01.09.30
  〜10.01
草津写真
初めて今の病院が組織する友の会の旅行に参加!
草津温泉“桜井”に宿泊。病院の救急車が常にバスの後ろを走る(緊急の場合それに乗って病院まで戻るらしい)旅行。しかし、みなさんよく飲むこと・・・。
湯もみショーや歌謡ショーと団体旅行気分を満喫。
こちらの会のみなさんはとてもカラオケがお好きなようで、二次会もカラオケ三昧だったらしい。
私は草津の湯を堪能したかったので、参加しなかった。
01.10.22 前日から、左小指と薬指それに手の甲がパンパンに腫れてグローブのようになってしまった。虫刺されかと思ったのに診察の結果、血流がそちらのほうに行って戻らなくなっているとの事。急遽血管の結紮(血管を縛って血流を止める)OPE。でも大事に至らずに済みました。
02.11.06 婦人科系のお薬「テルロン」を服用後、呼吸困難と全身の震えと吐き気を覚えて、夜中に病院へ担ぎ込まれる。しかし病院では治療の方法がなく、結局、食べたものをもどして、それによって薬の成分が外に出たのか落ち着いた。みなさんも気をつけましょう!今回は自家用車で行ったのですが、救急車を呼ぶことも大事かも!
03.09.02 透析導入後、約3年半お世話になった病院の治療方法に疑問を持ち、思い切って東京都内の病院に転院する。通う時間はあまり変わらない。検査や先生の回診が多く、今のところ満足。
病院を選ぶことも大事かな。
03.09.22 病歴ではないけれど、20年間透析をしてきた同志ともいえる母が亡くなった。悲しいが、ご苦労様と言う気持ちが強い。ほんとよくがんばりました。ゆっくり休んでね。私、ママの分もがんばるからね。
04.01.15 初めての血管拡張手術、痛みはあまり感じなかった。その後4度ほど受ける
04.06.11 注腸検査、その後大腸にポリープがあることがわかり、内視鏡で取ることに
04.10.01
〜03
大腸内視鏡検査のため入院
1日、透析
2日、検査。あまりの痛さにとうとうポリープまでたどり着けず、今後は経過を見ていくことに

3日退院
05.02.01
ものもらいだと思っていたら、帯状疱疹(ヘルペス)だった。
まぶたの上の神経的な痛みと視力低下に3週間近く悩まされる
05.10.15
〜23
副甲状腺摘出手術のために東京女子医科大学に入院
18日、手術
23日、退院 無事4個の副甲状腺を取り出し、正常な一部分を腕に植えた
05.10.24 移植のための登録病院をT病院から東京女子医科大学に変更する
06.03 難聴の詳しい検査の為、医科歯科大学病院へ通院をはじめる
06.04 弟も医科歯科大学病院の耳鼻科へ→後に糖尿と腎臓のクレアチニンの高さを指摘される
06.10.30
   〜11.08
風邪を引いていたのだが、深夜突然苦しくなり透析病院へ…喘息の重い発作であることが判明、そのまま入院
06.11.22
     〜23
2年前取れなかった大腸ポリープの切除手術。約7センチのポリープができたいて、良性のものと判明
07.03.23 耳鼻科でアルポート症候群でないかと疑われていた私と弟の症状が、DNA検査の結果「ミトコンドリア脳筋症」であることが判明。ただし治療法・予防法ともになく、迷路に迷い込んだ気持ち

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